共鳴する空間
―中戸川吉二と里見弴の北海道/東京― (3)
by 銀の星(Original:2006/03/25)
【目次】
(五)「銀二郎の片腕」 ─里見が創作した〈北海道〉─
1.喚起し合うテキスト
2.「銀二郎の片腕」 ─その空間─
3.「銀二郎の片腕」 ─人物と場所─
1.喚起し合うテキスト このように、当人同士も与(あずか)り知らない部分で共通点が多かった二人である。交流の間に、互いの影響を強く受けた作品を創作し合ったのも、本人たちにとってはごく自然の成り行きであったに違いない。 例えば吉二の、「犬に顔なめられる」(大正八年)。これは、釧路の春採海岸(現・千代ノ浦海岸)で、十八歳頃の彼が実際に入水自殺未遂を起こした時の経験を元にしている。「一文も値打(ねうち)のない人間だと自分を思ひ込んでゐて、生きてゐる事が厭(いや)でありどうかして早く自殺(じさつ)してしまひ度かつた」(「文壇へ出るまで」)。酒をあおって夜の海に入ってゆこうとするものの、どうしても足が前に出ない。そのうち野犬のような犬(実は近くのアイヌ小屋の犬)に吠えつかれ、追い回されたあげくに疲れ切って倒れ、犬に顔をなめられながら眠ってしまう。どことなくユーモラスな小説だが、しかしこれはおそらく、里見弴の「君と私と」の一シーンに対するオマージュであったと思われる。 かつての自分の無軌道な生活を告白する「反射する心」・「放蕩児」・「友情」などが里見作品の影響下に書かれたものであることは言うまでもない。 主人公「私」は、ファーストシーンでは本郷の〈菊富士ホテル〉にいる。当時、文士や芸術家がよく投宿したことで有名な高級下宿である。しかしそこで突然〈科学者の兄〉から、姉の肺炎が急に悪化して助かりそうにないと告げられ、母のせめてもの頼みだから〈イボタの蟲〉という煎じ薬を買ってきてくれ、と言われる。そこで「私」は、文化的な雰囲気の地域から、電車で、庶民的な〈上野〉の〈広小路〉へとおもむく。そしてさらに目的の店を目指して、「グショ/\した雪路」に足を取られながら、いもりの黒焼等の看板を掲げた土蔵が立ち並ぶ〈黒門町〉あたりの小路へと踏み込んでゆく。エリアを先へ進むたびごとに近代的な事物から離れ、時代までも逆行してゆくような幻惑感。それが、姉の身を案ずる主人公の不安や絶望とあいまって、一層哀切感を高めている。 一方、里見弴も、新しく自分のもとに来た作家志望の青年の意欲を真剣に受けとめようとしていた。 彼は当時、ちょうど『白樺』の仲間から離れて、一本立ちの作家になろうとしていた頃であった。吉二の最初の手紙に「私は貴方の思ふほど先輩扱ひにならされてゐるものではありません」(註10)と返信した里見は、初対面の時から率直な対応をした。やがて足繁く訪れるようになった吉二と議論を闘わせ、吉二の方が悔しさをかみしめることもしばしばあったという。それでも吉二は「里見弴と話が出来るのが愉快だつた」(「里見弴と私」 『人間』大正十年二月)。議論に負ける悔しさよりも、真っ向から相手をしてもらえる痛快さの方が勝っていたのだろう。 さて、その吉二が「兄弟とピストル泥棒」を書くひと月前の事である。吉二は、自殺未遂を繰り返していた頃の自分を主人公にした「自殺狂」という小説(「犬に顔なめられる」や「放蕩児」とは別作品)を書こうとしたが、どうしても十四、五枚から先に進められなくなった。そこで、「とても先をつゞける勇氣がなくなつたので、そのまゝ里見弴へ使つてくれとテイキヨウした」(同前)。大正六年二月のことである。里見もまた、それを素直に受けて、同年六月「拘留部屋の不良少年」を『黒潮』(七月号)に発表した(後に「不良少年」と改題)。 ただしそれは、吉二が書こうと意図していたストーリーを里見が代筆した、という類のものではなかった。里見が関心を持ったのは、主人公の「無邪氣な、奇抜な面白い感想」(吉二宛書簡・大正六年二月十八日)(註11)であった。そこから受けた感興を軸にして、里見は、酔って暴れた末に警察に一晩拘留され、自分の放蕩生活の行く末を考えて落ち込みながらも、一歩外に出れば不思議な精神の回復力でまた遊郭へと人力車を走らせる“懲りない男”を描いた。 何故あの「少年」が下らないのか。何故あの生活が馬鹿氣てゐるのか。これはさう簡單に放言して貰ひたくなかつた。僕の父や母がさう云ふのなら不思議はないが、君がさう云ふのは不思議だ。
この少年を僕は――作者は好きなのだ。君にはどうしても愛することの出來ない一人の少年を僕が愛したからとて君に不足を申し込まれる筋はない。実を白状すればあの小説の筋立てはチエホフの「親族會議」と云ふかつて僕が白樺へ譯して載せたものを、そつくり襲踏(原文のまま)したのだ(註12)。その主人公サシヤはもつと「下らない」。然し作者がそれを愛したことは僕が今度の主人公を愛した以上の深さに於てだ。かう云ふ點で突つ込むなら突込んでほしいものだ。 端的に言えば、この小説の〈原案〉を提供した吉二にとっては、主人公像はまさしく過去の自分の反映だった。「主人公の性格をイヤなタイプに描いて出來るだけやつつける」、そして「自分の性格などにある、不愉快なものから卒業して了ひたい」(「雜感五つ」 『文章世界』大正九年十二月)というのが彼が小説を書く主な動機ではあったが、しかし自分の解釈以上にそう描かれる事は受け入れがたかったらしい。一方、里見にとっては、提供された人物像を、自作の中でどのような〈造形〉として生かし切るかが一番重要な問題であった。そしてその造形には、里見の理想や、人生上の信念が色濃く反映されていた。 後には「文壇の先輩後輩といふ關係のうちで、見本的なものゝ一つ」(中戸川「北村十吉」大正十一年)と言われるほどに理想的な関係を築き上げた二人であったが、こうしたスタンスの違いは、当初から、両者の間の微妙な葛藤(コンフリクト)の原因となっていた。いかに共通点が多く、相似形の感性を持つように見える彼らでも、それは、ついにお互いに越えることの出来ない隔たりであった。しかし、そうした結果が明らかになるのは、もう少し先の事である。親交の深かった間は、その葛藤をも含めて、これが二人のコラボレートの形であった。 |
里見弴が、中戸川吉二の話からインスパイアされて書いた作品のうち、屈指とされている「銀二郎の片腕」(大正六年)に触れて、この稿を締めくくりたい。里見が吉二の話にインスパイアされて書いた小説で、彼の小説群の中でも評価が高いものの一つとなっている。 野口(冨士男) あれは中戸川さんからお聞きになった話ということになっていますけど。
吉二が北海道の思い出の一つとして話した、〈潔癖な牧夫〉のエピソード。その一点を核にして里見が描き上げたのは、次のような物語であった。 ──「年の半分は、野も山も深い雪に鎖されて了ふやうな地方の、或る牧場」に、三十二歳の年に亭主に死に別れた女主人がいた。彼女は牧夫たちが慣れ親しみにくいような威厳を持っていたが、反面では男勝りで、牧夫の中に気さくに立ち交じっていた。そんな彼女は、牧夫たちから尊敬され、慕われていた。しかし心の奥底には、雪深い土地に我が身を埋もれさせ、中風で体が不自由な舅(しゅうと)(義父)の面倒を見続けなければならないことへの鬱屈が溜まっていた。そんなある日、舅が酒を盗み呑みしているのを見つけた彼女は、とうとう腹立ち紛れにひどい折檻を加えてしまう。ところがその場面を、無口で潔癖な牧夫・銀二郎に目撃される――。 そして話の後半では、女主人の行為にひどい幻滅を感じた銀二郎が、それでも口止めされるままに事実を胸にたたみ、以前と変わらず彼女を大切な存在として扱おうとする、その心の動きが焦点となってゆく。 * * * * * * * * この話で注目すべきは、その舞台の地理的な設定である。 一方、ストーリーのイメージを提供した吉二がかつて身を寄せていた中戸川牧場は、どのような所であっただろうか(図2参照)。 まず第一に言えるのは、釧路地方は、北海道の中でも比較的降雪量の少ない地域だという事である。大陸からの風がもたらす雪は、日本海側から日高山脈あたりまでの間におおかた降ってしまい、太平洋側の道東への影響は少ない。 つまり、「銀二郎の片腕」の、牧場の女主人が感じる圧迫的な閉塞感は、舞台を狩太(ニセコ)の有島農場のような場所に置き換えた上で、里見弴が心の中でキャラクターに成り代わり、仮構してみた感覚だったのである(図5参照)。
それでは、なぜ、舞台を〈農場〉にしなかったのだろうか。 こうしたストーリー設定は、〈有島農場〉のような形態では成り立たない。小作人は広い農場の中に散在して住んでいる。特に用事のない限り、事務所にいる管理人やオーナーとはほとんど接触がないのが普通である。主人とだけでなく、他の労働者との間の微妙な葛藤や違和感を描く上でも、物語の舞台は、〈牧場〉のように緊密な、主・従関係で構成された空間でなければならなかった。 |
このように、「銀二郎の片腕」の世界の構造は、見かけほど単純ではない。ただ一つの場所だけが舞台のモデルとなっているわけではないからだ。特に〈牧場〉に関しては、里見によって、彼の書きたいストーリーに合うよう、いわば空間の性質が歪められている。だから〈牧場〉と言いながらも、その描写は、馬を飼っている事をのぞけば、女親分が仕切る博徒の家のようである。里見自身、文中で、その点は種明かしをしている。 彼女(女主人)には、一種、昔博徒の親分の家に、姐御と云つて立てられてゐた女たちにでも似つかはしい、世話好きな、思ひやりのある、そして氣丈な性分が急に表はれて來た。(中略)何か祝事でもあつて母屋から酒が出た晩などは、自分も少し醉つて土間をカラ/\下駄を引き摺りながら、納屋と仕事場に連らなつてゐる牧夫部屋へはいつて來ることもあつた。そんな時には、誰かゝら巻煙草を貰って吃したり、酌をしてやつたりして、そこに主人がゐるやうに堅くなつて坐り直したりする者があると、却つて機嫌を惡くした。 ここでまた、吉二の回想を見直してみよう。彼の随筆に、「牧場行き」(『新潮』大正九年八月号)という小品がある。大正九年、吉二兄弟・姉妹は、父親の病気のため久しぶりに釧路に集まったが、幸い病気はじきに軽快したので、この機会にきょうだい揃って大楽毛の牧場へ行こうという話になった。彼らは「葡萄酒、ウヰスキー、西洋菓子」などをてんでに持って、「リリーの花が可憐」に咲く道を馬車に揺られてゆく。アメリカの大牧場を連想させるような、ハイカラで明るいイメージである。 そして事務所近くに来ると、牧夫の子供たちが大勢立って、オーナー一族である吉二たちを珍しそうに眺めていたという。吉二が養子になっていた頃も、牧場では、八月・十二月・三月の学期休みになると、釧路町内の中戸川家から通学していた牧夫の子供たちが親元に来て、休みが終わるまで一緒に暮らしていたとの事である。だとすると、そこの女主人(吉二の叔母・シン)ともなれば、冬休み・春休みには子供たちの世話で、退屈するどころではなかったにちがいない。それに、「銀二郎の片腕」の中の〈牧場〉に住んでいるのは、女主人の他はほとんど牧夫(男)たちで、女中はどうやら居るらしいが、あとは牧夫の家族すら登場しない。このような人員構成は、現実的ではない。 しかし、ここで再び疑問が生じる。なぜ里見は、〈銀二郎〉を、北辺の地の牧夫として描こうとしたのだろうか。 * * * * * * * * 年若な頃から、市井の人々のごく日常的な人間模様に関心の強かった里見は、おそらく、最初に北海道に行った時から、その地の“諸方の民のるつぼ”的な性質に気づいていた。
そのため、北海道では、はじめ労働者として入った者が意外な能力を発揮したという話が各地で散見される。青森県から杣人として来道し(明治二十三年)森林伐採に従事したのち、独力で水田を開いて上川の水稲栽培の先駆者となった杉沢繁吉。鉱山でのトロッコ押しとして雇われたが(大正十二年)、体を張って無頼の徒から人々の暮らしを守り、後に、自らの測量の心得を生かして洞爺村にはじめて水道を敷設した菅原彌五太夫の話などである。ちなみに、「カインの末裔」の広岡仁右衛門のモデルとされているニセコの広岡吉太郎も、体こそ小説のとおり大柄だったが、実際には近代的農業を目指して「これからの農業は馬を使わなければ成功しない」と他の小作人にも説いて回っていたほどの意欲的な人物だった。農場を退場した後は小樽で板金業に転じ、町の発展に寄与したという(註15)。 それらの話の一つ一つを、里見は知っていたわけではない。それに、初めて北海道に訪れた頃の二十代の里見は、その地にまだ根付いていない多様な人々が生きる様(さま)を、“諸方から集まった雑民”と捉えていた。だがその後、家族とも友人とも離れて関西を放浪し、自分が何者かも人に語らず、また行く末も不確かなまま生き抜いた経験を経てきた彼は、自分の似姿を“雑民”の中に見出す事が出来るようになっていた。 〈銀二郎〉という牧夫は、もの静かで、〈学者か何かのような風情〉をした人物として描かれている。自分の過去には一切触れない。だが、なぜか為替の組み方や料金に詳しく、時計を修理することまで出来る。作中で一箇所だけ、“人の嘘に堪えられず、自分が嘘を言うのもいやになったために、都会を追われ、流れ流れて、ついにここまで来てしまった人物”と触れられるのみで、あとは謎のままの人物である。 自分を含めて人の偽りが許せず、自分自身を〈世間〉から追放してしまわなければならなかったほどの潔癖な人間が、それでは、過去を失った果てに、何を支えにして生きてゆくというのだろうか。 銀二郎は、女主人が、明らかにうとましい義父を押し込めるために造った〈隠居所〉の落成式の席で、いかにも親孝行めいた綺麗事の挨拶をするのを目の当たりにした瞬間、怒りを爆発させる。 こいつは大嘘つきだ!我慢のならねえ、質の惡い嘘をつく女だ!殺しても足りねえほど穢らしい女郎(めろう)だ!(中略) そして彼は土間に下り、いきなり自分の左腕を鉈(なた)で切り落とすと、「ヤイ、これを手前にやらア」と彼女に投げつけるのである。 里見は、この、自分の身体を切り落とす行為を、トルストイの「神父セルギイ(セルゲイ)」の一場面から借りている(註16)。 しかし、銀二郎の行為は、自罰などではなく、もっと攻撃的なものである。彼は、女主人の性根の醜さを、彼女の前につきつけて見せるために、瞬時に、自分の腕を切り落とす行動に出た。血を滴らせて転がった腕は、彼の激情が形象化されたものである。また、彼が感受し、吐き出した、彼女の穢なさ全てでもある。そして彼は出て行き、「交通機関の不備なこの地方では、匪徒(おたづねもの)でさへさうは出來ないほど、完全に姿を隠して」しまう。 〈銀二郎〉は、ある意味で、里見が、自分自身にある要素を極端までデフォルメして造り上げたキャラクターであった。そして「銀二郎の片腕」は、その男をまだ秩序も定まらない北辺の地に追いやり、それが己れの偏った性情に従ってどのように生きるかを見ようとする、いわば一度限りのシミュレーションの物語であった。最後まで人の中で己れ自身を語らなかった男が、謎のまま、またどこかへと完全に姿を消してしまう。秘かに慕っていた相手の嘘までも、否、むしろ慕っていたからこそ絶対に許すことが出来ず、人間についての最後の美しい幻想も失った男は、ようやく流れ着いた人の世の果てよりも、さらにその先の領域へ自分自身を捨てに行くしかない。 こうした、日本の近代ではすでにあり得ないように見える話にリアリティを持たせるためには、舞台を北海道に設定しなければならなかった。それは単に、その地が、〈日本〉の北辺の境界域であるからという理由だけではなかった。そこは、彼が、人生の折りにふれ、自分自身の生きる掟――倫理観――を考える上で秘かに心の支柱としていたロシア文学の世界とも、遥か彼方で接点を持つ空間だったからである。 (了) |
〈註〉
12.『親族会議』のサーシャ(サシヤ)は貴族の息子。小切手のサインを偽造して銀行から金を引き出したのがばれて、一族の会議にかけられる。親戚たちは皆社会的・宗教的モラルをもってサーシャを悔悛(かいしゅん)させようとするが、彼はまったく意に介さない。寛大な措置で許されるやいなや、叔父から百ルーブルを借りて夜の街に遊びに出かけてしまう。
里見は『白樺』(創刊号・明治四十三年四月)以前にも、二十歳の時に、同作の翻訳をすでに『学習院輔仁会雑誌』第七十八号(明治四十二年六月)に投稿していた。彼にとっては思い入れの深い作品。
14.『唇さむし ─文学と芸について─ 里見弴対談集』(かまくら春秋社 昭和五十八年)より引用
15.〔参考〕
阿部信一『有島の里』(阿部信一 昭和五十三年)
「カインの末裔(えい)のモデル」(阿部養吉の聞きとり) 『ニセコ町百年史』上巻(ニセコ町 平成十四年)
16.「それから腕を切るってやつは、実はトルストイの短篇にあるんだよ。ファーザーなんとかいう偉い神父さんが山奥に住んでいる。(中略)しまいには、都会の社交界の話題にまでなって、どんなヤツか、ひとつ化けの皮をはがしてやろうじゃないか、そんなヤジウマ根性で出かけて行く。その仲間に奥さんだかお嬢さんだか大したベッピンさんがいてね、自分の魅力でたぶらかしてやるというわけだ。たぶらかされたかどうかというところははっきり書いていないんだけど、その連中が引きあげて行ったあとで、神父さんが薪割り台の上に片腕乗っけて自分で切っちゃう。銀二郎が腕を切るのは、そこからちょっと盗んだんだよ。」(『唇さむし』より)
ここで里見が語っているストーリーはおおむね「神父セルギイ」のものと思われるが、七十九歳の時の記憶のせいか、若干原作とは違っている。最大の相違は、切断の場面。セルゲイは、女性と会う前に、指を切り落としている。
・中戸川吉二
『イボタの蟲』(新進作家叢書十八) 新潮社 大正八年(一九一九)
『反射する心』 新潮社 大正九年(一九二〇)
『縁なき衆生』 聚英閣 大正九年(一九二〇)
『青春』 太陽堂 大正十年(一九二一)
『北村十吉』(まぼろし文学館 大正篇) 本の友社 平成十年(一九九八)
※初版は叢文閣・大正十一年(一九二二)刊
『中戸川吉二選集』 渡邊新生社 大正十二年(一九二三)
『中戸川吉二三篇』 エディトリアルデザイン研究所 平成十二年(二〇〇〇)
・里見弴
『おせつかい』 新潮社 大正十二年(一九二三)
『里見弴全集』第一巻 改造社 昭和六年(一九三一)
『里見弴全集』第四巻 改造社 昭和七年(一九三二)
『初期白樺派文學集』(明治文學全集七十六) 筑摩書房 昭和四十八年(一九七三)
『唇さむし ─文学と芸について─ 里見弴対談集』 かまくら春秋社 昭和五十八年(一九八三)
『雑記帳 里見弴未発表原稿集』 かまくら春秋社 昭和六十年(一九八五)
・盛厚三『中戸川吉二ノート』 小谷デザインプランニング 平成六年(一九九四)
〔参考・本稿で参照した本書収載の中戸川吉二作品〕
「文壇へ出るまで」 『文章倶樂部』大正九年(一九二〇)二月号
「雜感五つ」(抄) 『文章世界』大正九年(一九二〇)十二月号
「濱茄子」 『三田文學』昭和十三年(一九三八)八月号
・山田秀三『北海道の地名』(第三版) 北海道新聞社 昭和六十三年(一九八八)
〈協力〉
川内まごころ文学館 ・日本近代文学館 (五十音順)